歳をとって失ったもの

 こんにちは。さつき台動物病院の多田です。実は1月に40歳になりました。30歳からの10年、早かったですね。国家試験に受かって獣医師になった時に20代だったなんて信じられない気持ちです。

 

 本ブログは「歳をとって失ったもの」と題されていますが、別に「奥歯が抜けました」とかそういった報告をしたいのではなく、ただ単にプレステ5の抽選に当たり、来週あたり私のもとにプレステ5が届くことを自慢するために書いたものなのです。

 

 私の人生を語るにおいて、プレステことプレイステーションを避けることは不可能であると断言しても良いほど、私はプレステに命を救われてきました。

 

 時は1994年、多田家の一大関心事であり、小学6年生にはあまりに酷であり、その後の人格形成に大きく影響を及ぼした中学受験が、なぜか奇跡的に成功し第一志望に合格した私は、その学校の面接で「合格したら何がしたいですか?」との問に「もう勉強はしたくありません、遊びたいです。」と素直に答えてしまうほどもう一生勉強なんかするもんか!と硬い意思を持っていたのでした。面接で「勉強しない」ことを宣言し、学校は私の入学を認めてくれたため、当然の権利として勉強はせずに遊びに邁進(その当時はゲーム)するのでした。当時はスーパーファミコンの次世代のゲーム機 3DO、PC-FX、プレステ、セガサターンの4強時代が到来しそうな雰囲気があり(あとappleの黒歴史ピピン@ってのもありましたね)、私はなぜか「一番高いやつが一番良い」精神で最も高額な3DOを合格の対価として親に要求したのでした。3DOは4強でいうとアンディ・マリー、、、、、、、、ですらなく、単なるクソゲー専用機であることをわずか数週間で見抜き、現在に至るまでも実家で埃をかぶっております。次世代戦争に負け呆然とする私を尻目に、忘れもしない1994年12月3日家電メーカーのソニーがプレイステーションというゲーム機を発売したのでした。プレステとの初コンタクトは翌年の4月、友達の家で行われました。読み込み面が黒いCDに一発で魅了され、その日からプレステを手に入れることだけに頭を専有され、気がついたら家にプレステがありました。あの無機質なダンボール箱に入ったグレーの本体を私は一生忘れることは無いと思います。そして、プレステ中毒者となった私は、野球部に別れを告げ中毒生活にどっぷり浸かることとなるのでした。あの時、野球に別れを告げていなければ、あの石の如く硬い硬球が頭にぶつかり、吾郎くんのお父さんのようにこの世に別れを告げていたに違いありません。まさしくプレステに命を救われました。

 

 プレステ中毒者となった私も高校3年生となり、プレステの片手間に受験勉強をするも国立獣医学部に合格することはできず(私立は学費が高いからだめよ。と言われていた)、ソニーに入り自らの手でプレステ5を開発するために東京理科大学工学部電気工学科へと進学したのでした。そして平成12年3月4日プレステ2が発売されます。なんと4万円でDVDも観られます。プレステ2とのファーストコンタクトは家庭教師先の生徒がファイナルファンタジー10をやっているのをみて突然欲しくなり、バイトしまくりでウハウハだった私はプレステ2お買い上げ帰宅を果たしたのでした。プレステ2を手に入れた私は突然強運に恵まれ、1年後に超ド田舎国立獣医学部になぜか合格し、プレステ5を開発する夢を絶たれ、獣医師になるために理科大を中退しました。超ド田舎の大学は娯楽が少ないため、部活の後は先輩と朝までプレステ2という生活を送りますが、我が家にプレステ2が無ければ間違いなく孤独死していたに違いありません。ここでもプレステ2に命を救われたのでした。

 

 いつだか忘れましたが、大学在学中にプレステ3が発売されます。当時プレステ3は税抜65000円という超高額であり、同じ学校にプレステ3を持っている人は私の周りにいませんでしたが、夜間(17時〜20時)にスーツをビシッと着て働く高時給のバイトをしてウハウハだった私は、迷いもなくコッソリとプレステ3を購入します。この後、中学受験を超えるスーパープレッシャーとの闘い(獣医師国家試験。とはいっても2ヶ月位しか勉強しない)を迎えるわけですが、この時は1日24-8=16時間位ずーーーーーーーーっと勉強していたので、プレステ3は触ってすらおりません。ただ、途中でストレスが限界を迎えアルミニウム筐体となったMacbook(確か18万位)をポチった記憶がります。Macbookは勉強中に音楽を聞くために使っていましたが、今考えたらipodで充分でした。勉強中はX Japanの「Art of Life」という29分位ある曲をずっとリピートで聞いていたのですが、今確認すると再生回数がとんでもない回数になっていて、回数を見るたびに「もう勉強はしたくない」という初心にかえることができます。

 

 ちなみに、いまだに年2回位は国家試験勉強時代の夢をみて、朝起きて「今日も仕事だ。試験は終わったんだった。」と確認してホッとすることがあります。軽いPTSDです。寝汗びっしょりです。

 

 プレステ3は「高かったのに、買っちゃたな」位の思い出です。ちなみに同じ流れでプレミア価格のついていたWiiも買っちゃいました。あの時が裕福でした。

 

 プレステ4は本体のファンの音がうるさいとのことで、買いませんでした。仕事で忙しいのもありますね。調べたら発売は2013年11月15日だそうです。その頃は、娘が産まれてゲームどころじゃないですね。プレステよりもRoombaと乾燥機付き洗濯機に命を救われてます。

 

 偶然にもつい先日、PTSDの原因の1つであるプレステ3に別れを告げたところ、自分で開発する予定であったプレステ5を4万円で買わされる権利をゲットし、購入することになりました。突然ですが、私の連続徹夜記録は43時間です。これは中学3年生の1月31日にファイナルファンタジー7がプレステで発売されたのですが、学校が2月3日まで試験で休みだったため、1月31日 〜2月2日まで寝ずにプレイしクリアするも、眠すぎてストーリーを全く覚えておらず、2月4日に登校した時点でクリアしたのは私だけなのでしたが、詳細を聞かれても答えられず信じてもらえなかったという際の記録です。そのため、プレステ5ではファイファン7のリメイクでもやってみようと思っていますが、とても徹夜なんてできなそうです。

 

 歳をとって失ったもの=ゲームに対する熱い情熱

 

 でも、抽選に応募しようとする姿勢や当選メールをみてすぐに購入してしまう事から、自分の奥底にはプレステに対する熱い情熱が残っている事を確認したのでした。そして、ブログを書きながら徐々にプレステ5の到着が待ち遠しくなるのでした。