食べ物の好き嫌いの多い子どもへのアドバイス

 こんにちは。さつき台動物病院の院長多田です。yahoo!ニュースなどで、「好き嫌いがあり、給食が全部食べられない子どもを担任の先生が居残りをさせて全部食べさせる事案」というのが子どもの虐待になるのでは?的な記事を時々みることがあるのですが、何を隠そうこの居残りマンはかつての私なのでした。小学校3年生と4年生の時の担任に居残りマンにさせられ、みんなが昼の掃除をしている中、私の机だけが教室の端によせられ、今でもまぶたを閉じるとあの時見つめ続けた銀色のトレーのすみっこにこんもりとのせられた(配膳する女子が私が食べられないのを知ってわざと大盛りにしてくる)海鮮サラダが鮮明に浮かびます。もう「食べないものは食べない」と鉄の意志で開き直っていた(後述するように、そこまで悪い事をしたわけでは無いと思うので、開き直るもおかしい気がする)。

 

 さて、とんかつ和幸に話は変わって、和幸では小さな釜で炊かれた炊きたてご飯がついてくる。はっきりと申し上げて、炊きたての米は大好きであるが、和幸のご飯は気分が悪い。なぜかというと、大半のお客さん(だいたい高齢者と女性、子ども)が食べ切れずに残しているのである。なぜ、彼らは居残りマンにされないのか。

 

 私は現在、納豆以外の一般的食材は克服した。海鮮サラダも一応OKである(クリーミーなドレッシングで食べたい)。なぜ納豆以外の食材を克服できたかというと、大学生になり一人暮らしをして自炊をしたら、自分で作って味付けしたものは食べられたのである。自分で作ると食べられる理由としては、①味付けが好みであれば食べられた②作った人を信用できていなかったのどちらかではないかと考察している。もしかしたら三番目があるのではないかと考えているが、その理由としては21歳にしてようやく生魚が食べられるようになり、現在は寿司は醤油をつけてしまうと醤油味になり台無しになるので、魚本来の味はを味わうにはせいぜい酢飯と少量のわさび程度で食べるべしと考えるまでになり、寿司は一切醤油なしで食べるくらいの美味しんぼでいうと究極でも至高でもなく、それらを遥かに超越した永久宇宙皇帝?ばりの食べ方をするまでになったからである。もはや味付けの問題でも信用でも無いのかもしれない。好き嫌いとは真に奥の深いものであると痛感させられる。

 

 話を和幸に戻そう。入店すると食後の談笑するお客さんとともに大量の残された炊きたてご飯が目に入り、早々に和幸を選んだ事を後悔する。キャベツに手を付けていない方もおり、とんかつ1枚で2回キャベツをおかわりする私からすると、とても受け入れがたい事実がそこにある。そもそも一般常識として、とんかつ屋というのはおかわりする私とおかわりされる店、どちらが先に音を上げるかの死闘を繰り広げるコロシアムなのである。食べきれない人達は、とんかつだけテイクアウトして、家でコソコソ食べてほしい。とんかつ屋とはもっと殺伐として、やるかやられるかの戦士達のみが集まる店であって欲しい。そう、かつての吉野家のように。

 

 私は20年間、好き嫌いの事で数々の人たちに迫害を受けてきた。今でも過去の好き嫌いをネタに迫害を受けることがある。しかし、私は納豆以外を克服することにより①納豆巻②納豆軍艦③納豆定食 この3つを誤ってタッチパネルで注文しなければ、お皿をピッカピッカにして店を後にすることができるようになった。私を迫害してきたかつての大人はジジババに、海鮮サラダをわざと大盛りにしてきた女子も中年おばさんである。この人達は、納豆は食べられるかもしれないが、和幸の炊きたてご飯を完食できないのである。タッチパネルに注意さえすれば完食する私と、好きで頼んで残す人、どっちがSDGsを実現しているのでしょうか?

 

 さて、本題の居残りマンの子どもたちへの助言であるが、

 

食べられるものは全て食べろ、残すな、太るのが気になるなら運動しろ、嫌いなものは頼むな。もし、好き嫌いを注意する大人がいたら、このブログを見せてやって欲しい。その大人と和幸に行って、嫌いなものを食べない人と自分で頼んで残す人のどちらが愚かな行いをしているか問いてみろ。自炊をしろ。自炊をしたら作ったものを残される人の気持ちがわかるはず。火事には気をつけろ。

 

 このブログを友人のプーチン君に読ませたら、非常に感銘を受けていた。

 彼もNATOが嫌いなようである。